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第8日 厚木〜伊勢原(その2)  

                                (歩いた距離 14.9km 2002.09.21)

 横浜・伊勢原線にぶつかったところが下糟屋である。

 バス停に粕屋下宿、上宿の名があるので矢倉沢往還の宿であったことがわかる。
白壁の土蔵や広い間口の店や、大きな農家がある。

 普済寺がある。入り口に不動明王がある。

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 庭内に大きな多宝塔がある。

 文化元年(1804)、徳川幕府は北方防備の鎮めとして、蝦夷地に三官寺
(有珠の善光寺、様似の等受寺、厚岸の国泰寺)を創建した。
 この塔は国泰寺の5代目住職になった文道玄宗が7年の任期を終えて、
下糟屋の神宮寺に帰山の後、天保9年(1838)に北辺の地の安泰を
祈願して建立したものである。

 当時江戸から厚岸までは3ヵ月を要する苦難の旅であった。
 さらに国泰寺の持ち場は、エリモ岬の東からクナシリ、エトロフに亘る広い地域で、
年1回の回勤が課せられていたという。

 銘文には、北辺の当時の状況が記され、「民安らかに 国泰く鎮護万年」との結びは
国泰寺に課せられた重い使命を物語っている。

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 高部屋神社がある。

 創建はわからないが、御家人として源頼朝と頼家に
仕えた糟屋籐太が再建したという。
 広々とした境内で藁葺きの拝殿であるが、屋根が
傾きかけている。

yagura08-15.JPG yagura08-14.JPG  拝殿の前には天保11年(1840)の
「江戸くずし」狛犬がいる。
 頭が大きく首が太く長いので、
トドとかラッコを思い出す。
 右アの子狛は既に溶解しはじめている。

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 本殿の前には享保12年(1727)で
尾は広がっているが背にぴったり
くっついている「はじめ」狛犬
がいる
 右アには2段角、左ウンには擬宝珠が
あるが、体つきはずんぐりして
まっすぐ正面を向いていることから
「はじめ」狛犬に分類した。

 境内には庚申塔と道祖神がある。

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 高部屋神社の南にある渋田川沿いには、大田道灌の墓がある
大慈寺や首塚があるが、今回はそちらには行かない。

 真っ直ぐ歩き、国道246をくぐり、東海大付属病院の方に行く。

 道の曲がり具合が旧道らしく、石垣があり垣根の木々の緑が濃い。

 それを過ぎると渋田川の上流にでる。
 咳止め地蔵がある。川にかかった「せきど橋」のたもとにあり、大山参詣の人々から
信仰されてきたという。

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 伊勢原高校を過ぎ、国道246を横切ると、
伊勢原大神宮に着く。
 かつては古い建物が神々しかったが、
社殿など全て新しく建て直されてつまらなくなっている。

 江戸時代初期の開墾地の鎮守として
伊勢神宮を勧請したことにより、
この地を伊勢原と名づけたという。

 大正10年(1921)の「江戸」狛犬がいる。毛並みの彫りが細かく横縞模様になっている。
右からウン・アである。

 駅の方に行く。

 火ぶせ不動尊がある。
 文化13年(1816)に伊勢原に大火があったが、この不動尊のところで火が止まったことから、
この名がついたという。

 小田急伊勢原で乗車して、帰宅。

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